日本中が注目をした2024年の東京都知事選。
その中で、無党派層を取り込み歴史的な躍進をとげた石丸伸二さん。
その後、市長となりました。
都知事選の投開票日をついに迎えた本日7月7日ですが、、その都知事選の台風の目と言われる石丸伸二さんの安芸高田市長になる前までの経歴について、調査し紹介したいと思います。
石丸伸二|プロフィール
まず、どのような方か知っていただくために、簡単にプロフィールを紹介します。
石丸伸二|プロフィール
名前:石丸 伸二(いしまる しんじ)
生年月日:1982年8月12日
年齢:42歳(2024年9月時点)
出身:広島県安芸高田市吉田町
石丸伸二さんは幼少期から活発であり、父親の話によると「市長になる」と発言していたそう。⇓⇓
そんな石丸伸二さんは、京都大学 経済学部(偏差値:65~67.5)を卒業。
2006年に三菱UFJ銀行に入社しました。
2014年には、為替アナリストとして三菱東京UFJ銀行子会社MUFGユニオンバンクの初代ニューヨーク駐在として赴任。
ニューヨーク駐在時代は、アメリカ・メキシコ・カナダ・ブラジルなどのアメリカ大陸の主要9カ国25都市で活動していたそう。
しかし、2020年7月に退社。
同年、7月22日に出馬表明し当選し、8月9日に第4代安芸高田市長に就任。
その後、安芸高田市長を一期四年で辞職し、2024年5月16日に東京都知事選挙に無所属・政党推薦なしで出馬すると表明。
都知事選の結果としては、小池百合子氏に及ばずという結果になりましたが、蓮舫氏を抑えての得票数2位という結果に多くの関心と称賛の声が寄せられました。⇩⇩
大学入学前から、金融業界にはいるつもりだった
石丸伸二さんの銀行員時代のお話をする前に、
「大学入学前から金融業界に入ろうと思っていた」というエピソードについて紹介したいと思います。
金融業界に入るために、経済学部の計量経済を専攻していた
京都大学を卒業された石丸伸二さんですが、京都大学新聞のインタビューで
「一番確実に、期待値高く稼げるのは金融機関だと(思った)」
「金融業界に入るつもりだったので、そのために必要な知識は身につけて卒業しようと思っていて」
と、話されています。⇓⇓
――学部は経済学部に。
経済学部を選びましたが、その理由は手っ取り早く、手堅く稼ぐためでした。
そう考えたときに、一番確実に、期待値高く稼げるのは金融機関だと。
――学生生活を振り返って。
学部では、経済データの分析に統計的な方法を応用する計量経済という分野を専攻していました。
金融業界に入るつもりだったので、そのために必要な知識は身につけて卒業しようと思っていて、その中で財政や地方行政について学んだことは今の仕事にも活きています。
引用:https://www.kyoto-up.org
大学入学前から、金融業界に行こうと考えていた石丸伸二さん。
見事、三菱UFJ銀行に就職しました。
有言実行ですね。
石丸伸二の銀行員時代について
続いては、石丸伸二さんの銀行員時代について紹介していきたいと思います。
- 2006~2008年、三菱UFJ銀行に入行し、法人のお客さん相手にお金を融資する仕事
- 2008年~2010年、アナリストとして、企画部の経営調査室へ
- 2010年~2014年、金融市場に携わる部署へ
- 2014年、子会社「MUFGユニオンバンク」の初代ニューヨーク駐在に任命
- 2020年、東京に戻る→7月にニュースを見て退職を決意
2006年~2008年:法人のお客さん相手にお金を融資する仕事
石丸伸二さんは大学卒業後、三菱UFJ銀行に就職。
最初の2年間は、法人のお客さんを相手にお金を融資する仕事していたようです。⇓⇓
――銀行員としての生活は。
法人のお客さんを相手にお金を融資する仕事を2年ほどした
引用:https://www.kyoto-up.org/
銀行員時代の仕事内容
石丸伸二さんは、「本来、政治家もそうあるべきだと思います」という投稿をした際、
銀行員時代の仕事内容について話されています。
- 窓口を閉めて、1円でも計算が合わなければやり直し。
- 書類がなくなればシュレッダーから拾い集めて復元。
- 顧客との面談は徹底して、記録化。
ほかにも、「上司が部下たちに視線を向けた瞬間、2・3人がすぐに駆け寄り、上司の質問や話に間髪入れずに答えていた」⇓⇓とも話されていたようです。
かなり厳格なルールで、厳しかったようですね。
2008年~2010年:アナリストとして、企画部の経営調査室へ
その後、アナリストとして声をかけられた石丸伸二さん。
企画部の経営調査室という銀行の本部機能の中枢で仕事を2年程していたそう。⇓⇓
自分の専攻していた統計を使った仕事がしたいとはかねがね思っていたので、もうこれだけで出来過ぎなぐらいです。
そこからはアナリストとして、それ以上ないぐらい恵まれたキャリアを歩ませてもらいました。
まずは企画部の経営調査室という銀行の本部機能の中枢で、銀行経営に必要な、世界経済全体の見通しを立てました。
そこで2年ほど働いた
引用:https://www.kyoto-up.org/
2010年~2014年:金融市場に携わる部署へ
上司に連れられて金融市場に携わる部署を3・4年経験。
上司に連れられて金融市場に携わる部署に行きました。
株や債券など金融商品を扱う部署で、より現場に近く、お金が激しく飛び交う場所でした。
当時の銀行の総資産の120兆円くらいの内、40兆円くらいを運用していたんです。
そんな部署で自分の予測を出すという経験を3、4年ほど積ませてもらいました。
引用:https://www.kyoto-up.org/
120兆円の内、40兆円くらいの運用を任されていたなんて、銀行員としてエリートの道をすすんでいたみたいだね~
2014年:子会社「MUFGユニオンバンク」の初代ニューヨーク駐在に任命
銀行員として、様々な経験を積んだ石丸伸二さんは2014年に為替アナリストとして
アメリカにある子会社「MUFGユニオンバンク」の初代ニューヨーク駐在に任命。
為替を扱う部署に送り出してもらって、その行き先がニューヨークでした。
年間100日くらい出張して、カナダから南米を一人で担当していました。
それも上司が送り出してくれたおかげで、かなり珍しいキャリアを歩めたので、めちゃくちゃラッキーでしたね。
引用:https://www.kyoto-up.org/
年間100日位出張していて、アメリカ大陸の主要9か国25都市で活動していたみたい。
カナダから南米まで石丸伸二さん一人で対応していたようだよ。
すごいね~。
初代ニューヨーク駐在に抜擢された石丸伸二さん、エリートですね…(笑)。⇓⇓
2014年には為替アナリストの初代ニューヨーク駐在に就任し、世界各地を講演会などで飛び回るエリートとして順風満帆なキャリアを歩んできた。
引用:https://en-ambi.com/
NY駐在していた頃、通勤手段はキックボードだった
NY駐在している時、通勤手段はキックボードだった様です。
市長室内で、キックボードを楽しそうに乗っている石丸伸二さん。⇓⇓
また、市長室内にあるデスクにはNY滞在時のネームプレートを飾っているそう。⇓⇓
市長室内には、NY滞在時の思い出の品を飾っているみたですね‼
体力的にきつかったNY滞在
NY駐在時は、仕事が体力的にもキツ過ぎて「そろそろ死ぬかな」と思うくらいしんどかったそう。
2015年の石丸伸二さん。⇓⇓
2016年の石丸伸二さん。⇓⇓
表情を比較してみました。
確かに、今の方が表情が生き生きとしている気がするわ。
ちなみに、南米のブラジルやアルゼンチンを担当しているときに
「ずいぶん遠くまで来たな。もう、これより遠い場所はないんだな」としみじみ思ったとインタビューで話されていました。
2020年:東京に戻る→ニュースを見て退職を決意
2020年には、東京に戻っていたという石丸伸二さん。⇓⇓
その後、2020年に東京に戻って仕事をしていると、河井克行元法相から現金をもらっていた安芸高田市長が辞めたので、副市長が市長選に立候補するというニュースを見ました。
引用:https://news.livedoor.com/
副市長が立候補するというニュースを見た翌日の7月8日が在宅勤務だったため、
会社に「退職します」と連絡を入れ、退職したそう。
以上、石丸伸二さんの経歴について紹介しました。
銀行員時代たくさんキャリアを積むことができたようですが、体力的にもきつかったようですね。
銀行時代を思い出すと頑張れるんだとか…‼
石丸伸二さんの、これからの益々のご活躍を願っています。
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